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もう終わりにしよう

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◆あらすじ

ジェイクと私は最近出会って付き合い始めたばかり。
私(ルーシー)は寒空の下ジェイクが迎えに来てくるのを待っていた。
実はその日はジェイクの両親の実家へ行く事になっていたのだ。

そしてすぐジェイクが私を迎えにやって来た。
笑顔でジェイクは私を車に迎え入れる。
私も笑顔で車内へ入りジェイクとキスをした。
私は彼と特別な繋がりを感じ、この出会いに運命めいたものを感じていた。

雪が激しく降りしきる中運転を続ける二人。
物理学や演劇、詩といろいろな話題で盛り上がるのだが、なぜか訪れる既視感の中、私は彼と関係を終わらせようと考えていたのだった。

ジェイクの家に到着し両親に紹介される。
ジェイクや彼の両親たちと食事を共にするが感じる違和感。
急に老けたり若返るジェイクの両親。
また時折映像に映る一人の老人。

帰宅途中で立ち寄ったアイスクリーム屋での不可思議な対応。
そして最後に立ち寄った学校でジェイクはいなくなる。
彼を追う私。そこで出会った老人は…


家に帰りたいという私をなかなか返そうとしないジェイク。
私の応答に異常に早いレスポンスをするジェイク。
廃墟の前にある何故か真新しいブランコ。
両親の家畜小屋の死んだ子羊たち。
生きたままウジが湧いて死んだという豚。
異常に来るのが遅い両親。
異臭がする飼い犬。
地下室に入れようとしないジェイク。
何度もかかってくる電話。
曖昧な記憶と狂った時間の感覚で何が現実で何が虚構なのかわからなくなる私…

https://www.netflix.com/jp/title/80211559

◆感想

NETFLIXオリジナルで見られる映画
どうやら話題になってる作品らしいとか

原作の小説、解説やその他考察は色々あると思いますが、あえて僕が思った感想と気になった点を書いてみる。

この感想と考察はあくまでも個人で思ったことなので実際の結末・解釈とは違うと思いますがご了承を。
あとどうしてもこう説教ちっくになるのもご了承を…スミマセン

ちなみに英語の原題は「I'm thinking of ending things」とのこと
個人的には邦題のタイトルが気に入っている (英語ではニュアンス的にネガティブにもニュートラルにもとれるらしいため邦題の方が良さそう)

以下、ネタバレを含みますので注意






















個人的な物語の考察と感想は以下のような感じ
(おそらく他のレビューブログなどとは違うと思います)

まず難解な映画の構成の詳細を考察や考える前にまず僕が思ったこと
「自己肯定感の大切さ」だった。


(今の現代ならなおさら)他人のすごい所なんかすぐに目につくのでそれと自分を比べがちになる。
それらの人たちと比べると自分なんてクソみたいなもんなのである。

自分が優秀だから自己肯定感は上がるのではない。
自己肯定感と優劣の間には因果関係はないのである。
そして自己肯定感は自己の幸福にとても大きく関わってくる


ジェイクはこの自分自身が優秀であれば、それは他者との関係を多分に含む、が(たとえ妄想でも) 自分は幸福になれると勘違いしていた。

そしてそのこじれ方が他の人と比べて圧倒的にすごかった。

「もし○○だったら。あのとき□□していたら」など誰しも思うことがあるが、「終わったことは仕方ない」とか「まあ実際はそうじゃないけど」 思うしかなくそうやって折り合いをつけるのだが、ジェイクにはそれが出来なかったんだと思う。

そして何より辛いのは、時に現実逃避や慰みになる「なりたい自分になれる妄想にすら自分自身を否定されてしまうことだと思う

現実と妄想の境界が曖昧になっていった彼にとってそれが起こる理由はわかるが悲しすぎるのではないか。


◆考察

(全てのヒントを拾いきれていないし、強烈な印象が残る箇所だけを選んでしまっていると思うので全部を理解できていないのでこれが正解とは思わないが)
僕なりの物語はこうだったんじゃないかという考察は以下の通り


すべてが妄想ではなく、ゆっくりと現実と妄想の区別がつかなくなっていったんだと思う
そしていつしか妄想を変えることで現実が変わるという風に考えていったんだと思う


そう思わせるのが
最後の豚と一緒にジェイクが裸(おじいちゃんの裸はなかなか強烈)で校内を歩いていくシーン

冒頭でジェイクは、生きながらウジがわいて死んでいった豚にジェイクたちは気づかなかったといっている
これをジェイク自身と重ねるとすると、生きながらウジに蝕まれる=普通でない(現実と妄想の区別がつかない)状態が緩やかに続き死に至る ということを表しているんじゃないかと思う

妄想と現実が緩やかに変わると考えることで自分的には大部分の説明がつくような気がした

・両親やアイスクリームの店員の態度

すべてが妄想ではないように思える理由がここ
アイスクリームの店員がルーシーに話しかけてくるシーンがある。

・アイスクリーム店のビッチ二人(ジェイクをみてニヤニヤしている店員)とジェイクの関係

(ジェイクの美しい見た目に対する嫉妬なども含まれていると思うが)相手が明らかにジェイクを馬鹿にしているという態度ジェイクの妄想(ひょっとするとジェイク自体がルーシーを演じていて)を目の当たりにしてそれを蔑んでいると取れるのでは?
それがトラウマの引き金になり物語後半では妄想の中のでも強烈に記憶に残りあんな風に不自然なシーンになった のではないだろうか?
(ここは根拠はないが、作中で精神病について述べられるシーンがある)

・両親の口論のシーンと母親にジェイクが怒るシーン

実際に両親は彼の妄想に付き合っていたのだと思う。延々と続けられる彼の妄想に両親がついに耐えられなくなり口論したり、母親の反応が奇妙になったんだと思う。

・彼女は存在したか?

バーで見かけたルーシーは間違いなく存在したと思う。
問題はジェイクと交際していたか、だ。
正直あまり良くわからないが、僕は短い期間だったかもしれないがジェイクはルーシーと付き合っていたのではないかと思う。理由は以下。

・具体的な付き合い始めた期間が設定されている
・ルーシーに圧倒的に論破されるというシーン(実際に論破され経験があったのでは?)があること

それらの経験(短いながらも実際につきあった)から、自分の理想の彼女を作り出したんじゃないかと思う。付き合いがなければギャプとの差に悩まされないと思うからだ。

・理想の彼女の役割

理想と現実の区別が曖昧になったジェイク

ルーシーとジェイクの関係は

ルーシー(現実)
ジェイク(妄想)

という対応関係として見ることもできると思う。

そして妄想が変わると現実が変わるというおかしな理論になったんじゃないかと思う
だから執拗に自分が優秀であることを理想の姿(彼女)に認めさせるようとした。 (彼女に自分自身を認めさせようとするシーンが多い)

またバニティミラー(助手席のサンバイザーの裏にある鏡)が割れていた理由は現実を見ようとしないことの暗示だと思われる。

・現実社会でのジェイクの表情

仕事中や映画を見ている間も彼の表情はとても乏しい。
逆に妄想の中の方が感情が豊かである。 これも彼が妄想の中で生きていることを表している。

・電話がジェイクではなくルーシーにかかってきた理由

妄想に区別がついていれば電話はジェイクにかかってくるはずである。
だがここが曖昧になっているからこそ、ルーシーに電話がかかってきたのだ。

無意識ではこのおかしな理論に気がついているがその妄想(白昼夢)が強すぎるので現実との境界が曖昧になっていっている。
その兆候としてジェイクにではなくルーシーに「現実に戻れ(現実を変えるな)」という電話(不在着信)が何度もかかってきたのだ

食事のシーンではルーシーがジェイクがどれだけ素敵なのかを述べているのに、結局はジェイクについて一抹の不安は拭い去れず、別れよう(現実に戻る)と何度も思うのだ。

現実が理想のギャップを知っている(その差が大きいほどより強烈)のでルーシーは何度もジェイクに対する態度が肯定的にならない(つまり現実は変えられないと無意識では気づいているがそれに向き合えない)

・現実と理想のギャップ

アイデンティティである清掃員のツナギの姿ではルーシーはジェイクであると気付かない
これは妄想をどんなに変えようとしても何も変わらないということの暗示だと思う。

・「もう終わりにしよう」


とうとう死期が近づき(最後のエンドタイトルでは彼は亡くなっていると思う)映画タイトルのとおり「もう終わりにしよう」となる。
結局彼はどれだけ頑張っても彼女を変えることが出来なかった(大量のゴミ箱にあるアイスクリームのカップは彼の葛藤を表している)のだ。

自分の肯定(or折り合いをつける)ことで終わりにするのではなく、老いにより諦めるようになるというのもなんとも悲しい終わり方ではないだろうか?

・ジェイクはどうすればよかった?

現実を変える方法をジェイクは間違ったのだと思う。
妄想→現実ではなく (月並みな回答だが)が現実に直接向き合わなければならなかったのだと思う。
でもそれは別に死ぬほど努力する必要はなく、ただ自分を肯定するだけでジェイクの生き方は変わったんだと思う。

「あるべき姿と今ある姿」 誰もが抱える問題であるがゆえにどうも他人事にはどうしても思えず(僕も割とこじらせ系なのだ)、ジェイクのその費やした時間の虚しさを「時間の無駄」と一蹴できなかった

◆最後に

終わり方や解釈の余地が多分に含まれるのでそいうった考察や真実が何かを想像したい人にはおすすめの作品
逆に、モヤモヤしたのが嫌だったり曖昧な終わり方が嫌いなひとには向かない。 実際、日本でも海外でも評価が真っ二つに別れているようです。

少し映画が長いと感じるがとても興味深い映画だった。

また監督はあの「マルコビッチの穴」を作った人でもある。 (マルコビッチの穴もおすすめ)
またオリジナルが小説らしいので機会があれば読んでみたい。 おそらく解釈が変わるんだと思う。

映画はNetflixで見られます

https://www.netflix.com/jp/title/80211559

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